福島出身2人 新聞バッグ学ぶ

東京電力福島第一原子力発電所のある福島県大熊町出身の女性2人が17、18日、四万十町を訪れ、新聞バッグ作りの指導者を育てる講座に参加した。古新聞とのりだけで安価にでき、売り物にもなるため、2人は「いつか福島でも広げ、支援の一助にしたい」と思い定める。(畑矢今日子)

 四万十川新聞バッグは、町おこし会社「四万十ドラマ」でアルバイトする主婦が2003年に考案。町民らが空き時間や農閑期に手作りし、300〜1000円で販売している。手間がかかるが、頑丈でデザイン性がよく、リサイクルにもつながり、欧米などから千個単位で注文が入るほど人気がある。グルーム

 2人は、ウェブデザイン会社社長鈴木亜也子さん(36)(東京)と、中高の同級生で主婦の久保寺由機子さん(36)(横浜市)。四万十ドラマは09年からバッグ作りの指導者養成講座を開いており、2人は関東の11人と一緒に参加した。

 「大熊町もこんなに奇麗だったなぁ」。会場の四万十町広瀬の休校舎を訪れた2人は、道ばたに花が咲き、田植えが進む四万十川流域ののどかな景色に、思わず見とれ、古里と重ねた。
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 2人の実家は原発から5キロ以内にあり、小中高とも20キロ圏内。ともに父親は原発で働いていた。事故後、家族はバラバラになって避難所や親戚宅を転々とし、東電の協力企業で働く久保寺さんの兄は原発で作業服の洗浄にあたっている。古里では米の作付けはできなくなった。「大熊の米もおいしかった。甘くて大粒で」「キウイも桃も、野菜も、魚も、何でもあったよね」「でも全部過去の話になっちゃった」。2人は寂しそうに続けた。

 講座への参加は、震災前から決めていた。鈴木さんが2年前、旅の途中に偶然訪れた四万十町で新聞バッグにひかれ、昨年末、久保寺さんら友人と参加を申し込んだ。古里が被災し、講座どころではないとも思ったが、「避難所で新聞バッグを作ってもらい、私たちが買い取って売れば、少しは支援になるかも」と、考えるようになった。デニム

 まだ避難所では、もの作りができる余裕はないと聞き、実現は先になりそう。それでも、福島の新聞でバッグを作り、福島産の野菜などを入れて売るなど、構想が広がる。

 2日間の講座では、大中小の3種類の作り方を学んだ。はさみはほとんど使わず、丁寧に折りながら端を合わせ、のりで貼る。2人は折る順番や、見せたい絵柄の出し方に苦戦したが、徐々にコツをつかんだ。
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 鈴木さんは「今、何ができるかを毎日考えている。人に教えるのはまだまだだけど、練習していつでも福島に帰れるように準備し、少しでも古里の役に立ちたい」と前を見据えた。
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 新聞バッグの講座では、前回までの9回でインストラクターに認定されたのは109人。問い合わせは四万十ドラマ(0880・28・5527)。